核燃料—ある芳しくない現状

ACROにおいてオリジナルを元に、日本の読者のために言葉を補足あるいは削除して翻訳した上で、新たな情報を加えて内容をアップデートした。オリジナルの報告書のサイト
翻訳者:内山田 康

出典:「原子力資料情報室通信」539号、8ー11頁(2019年5月1日)
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フランスはその58基の原子炉を稼働させるために、年によって変動はあるものの、およそ1200トンの核燃料を必要とする。その主要な部分は、天然ウランから新たに作られた核燃料である一方、原子炉から取り出された使用済み燃料をリサイクルしたMOXが占める割合は極めて小さい。HCTISN[原子力安全の透明性と情報に関する高等委員会]は、フランスにおける核燃料の管理の実情についての報告書を公表したところであり(HCTISN 2018)、ACROはこれに積極的に取り組んできた。

現場の状況

ウラン235は天然に存在する唯一の核分裂性同位体であるが、それはウラン238が大部分を占める天然ウランには0.7 %しか含まれていない。フランスの原子炉は濃縮ウランを使い、そのウラン235の存在比はほぼ4 %に保たれている(HCTISN 2018: 19)。濃縮ウランを作った残りの天然ウランは劣化ウランとなる。

58基の原子炉からなるフランスの原子力発電所では、毎年およそ1200トンの燃料を消費するが、そのうち1080トンの濃縮ウランは、天然由来のものである。複数の企業によって行われているこの濃縮は、毎年およそ7800トンの天然ウランを必要とし、典型的にウラン235を0.2 %から0.3 %含む6720トンの劣化ウランを生み出し続けている。オラノ(旧アレヴァ)に蓄積されたその量は30万トンを超える。

核燃料は原子炉内に4年間滞在する。原子炉から取り出された使用済み燃料には、二つの可能な戦略が存在する。すなわち、

  • 何もしない。使用済み燃料は、究極の放射性廃棄物とされ、それはそれ以後数千年にわたって隔離して保管されねばならない。
  • 何年もの間貯蔵された後で「再処理」する。この過程において、使用済み燃料は溶解されて、未使用のウラン、いわゆる回収ウラン、プルトニウム、究極の廃棄物に分離される。

第一の選択は、大多数の国によって選ばれている。第二の選択は、フランス、ロシア…ほぼこれだけだ。英国は2020年に再処理を中止すると宣言しているし、日本は使用済み燃料を再処理する意志を表明しているが、その六ヶ所再処理工場の稼働はすでに24年も遅れることが明らかになっている。

現在フランスで、使用済み燃料からプルトニウムを抽出してリサイクルする政策を選択している。すなわち、毎年、平均10.8トンのプロトニウムを109.2トンの劣化ウランと混合して、120トンのMOX燃料が作られている。

これはフランスの24基の原子炉で使用される燃料の30%程度にしかならない。だから24基もの原子炉が必要なのである。これらは、クリュアス原子力発電所の4基の原子炉を除き、より古く過渡的な電気出力900 MWeである。原子炉で一度使用されたMOX燃料は、再処理されない。オラノは、ラ・アーグに10,000トンに迫る使用済みMOX燃料を保管している。

したがってHCTISNの報告書は次のことを明らかにしている。すなわち:
「原子炉に毎年挿入される1200トンの燃料のうち、120トンがMOX燃料であり、それは10.8トンのリサイクルされたプルトニウムから製造される。
もしも、リサイクルされた物質の量を見積もるならば、(挿入された物質の総量)1200トンに対する(リサイクルされた物質)10.8トンの比率となり、つまりリサイクルの比率は1%未満に過ぎないことを認めなければならない。
もしも、物質の持つ潜在的なエネルギーを考慮に入れるならば、濃縮天然ウランから作られた新しい燃料が節約される割合は、(燃料の総量)1200トンに対する(リサイクルに由来する燃料)120トンの比率、つまりそれは10 %のリサイクル率を表象する。」

以前EDF[フランス電力]は、わずかな部分ではあったが、回収ウランをリサイクルしていた。しかし今では止めている。会社は詳細については語らないまま、このリサイクルを再開すると公表している。オラノは30,000トンに迫る量の在庫を抱えており、その大部分はトリカスタンのサイトに保管されている。

サイクル?

原子炉から取り出された[使用済み燃料の]1 %未満しかリサイクルされていないにも拘わらず、原子力産業と公的諸機関は、フランスの戦略は「閉じたサイクル」であると語る。再処理しないもう一つのオプションは、「開かれたサイクル」の問題であり、それは物笑いの種と紙一重であるとも語る。それはまたサイクルの上流と下流に拘わる問題だ。もしも、それが真に閉じたサイクルだったならば、それには上流も下流もないだろう。

原子力産業は自らの能力に誇りを持っている。すなわち極めてエネルギーに富むプルトニウムは、天然ウランを10%節約することができる。しかし、ウランを濃縮する際に優先されるのは「経済的な最適化」であって、資源の節約ではない。もしも、劣化ウランに含まれるウラン235の含有量が0.20 %であるならば、フランスの原子力発電所に合計7,436トンの天然ウランを供給しなければならない。しかし、もしもその含有量が0.30 %であるならば、それは9,002トンでなければならない。この場合の差異は17%以上となる。ところで、含有量が少なくなるほどウラン235を取り出すためにかかる費用は高くなる。天然ウランの市場価格が安ければ、天然ウランをより多く使用する方がより優位であり、高ければ劣化ウランをさらに[濃縮して]劣化させる方が、より優位となる。原子力産業界は経済的な最適化に専心し、資源の節約はその関心事ではない。よって、再処理の目的は、天然資源の使用を節約することではないのである。

どんな中期的な進化があるのか?

2015年8月18日の法令資料に掲載された「エネルギー転換との増大に関する法律」は、中長期的な目標として、2025年には原子力による発電の割合を50%にすると見通しを立てている。たとえこの2025年の見通しが実現できなかったとしても、現在の多数派政権は、 MOX燃料を使用する、より古い原子炉の使用を止めて原子力の割合を減らす目標を変えていない。

よって、この法律の施行はリサイクルの量を減らすことにつながり、それはさらにラ・アーグの再処理工場の稼働にも影響を与えるだろう。だが、この主題はタブーとなっている。EDFはこの主題について2016年6月に作成された「サイクルのインパクト2016」というタイトルの調査結果をASN[原子力安全局]に提出した。IRSN[放射線防護原子力安全研究所]は、これについて専門家による評価を行い、それは2018年5月に提出された。ACROはこの二つの報告書を手に入れるために力を尽くしたが、EDFの報告書は秘密のままであり、IRSNは2018年5月にその報告書の一部を伏せた別バージョンを公表したが、ほとんど全ての数字は黒塗りになっている。

しかし、ACROはこの文書が漏洩したためにIRSNによる分析結果を手に入れることができた。そして、複数ある使用済み燃料の貯蔵プールが、飽和状態に近づいていることを明らかにした。すなわち、フランスの使用済み燃料の再処理の全てを引き受けるラ・アーグには、あと7.4%を超える余裕しか無いのだ。使用済みMOX燃料が蓄積する結果、2030年頃には複数の使用済み燃料の貯蔵プールは飽和状態になるだろう。EDFはそれまでに中央集権化した一つの新しい貯蔵プールを造ろうとしているが、それが上手くいかなければ、フランスの原子力発電所は停止しなければならなくなる。

もしも MOX燃料を消費する古い原子炉が停止した場合、この法律により、その分の再処理は減らさねばならない。そして普通の核燃料が貯蔵プールの飽和に拍車をかける。再処理工場あるいは MOX燃料の製造工場において故障が起きた時、これらの貯蔵プールはおよそ一年で飽和するだろう。

このようにして、フランスの原子力産業は、国の72%の発電を担うものの、極めて脆弱なシステムである。これら貯蔵プールが飽和したならば、それは短期間のうちに全ての原子力発電所の完全な停止と国家にとっての深刻な困難に帰結するだろう。これは極めて憂慮すべきことだ。

評価を与えられていない物質

300,000トンの劣化ウラン、10,000トンの再処理されていない使用済み燃料、それに30,000トンの回収ウランは、「価値を高める物質」とされ、廃棄物として分類されていない。EDFは回収ウランを濃縮あるいはリサイクルに使いたいと言っているが、劣化回収ウランには使い道がない。

原子力産業と国の諸機関は、この在庫はフランスをクウェートと同じくらいに豊かにする宝だと考えている。SFEN[フランス原子力学会]も同じ無尽蔵のエネルギーについて語る。しかしそこにはある小さな問題、一つの些細な問題がある。これら全ての物質の技術を持っていないのだ。ならばそれを探すか。それはほとんど1世紀をむなしく費やすこととなる。

実際この研究はすでに、2006年6月28日の放射性物質および放射性廃棄物の持続可能な管理計画法の中の目的に含まれ、長期的には第四世代の原子炉として展開されている。この計画はと呼ばれており、最も楽観的な者でさえ、その実用化は今世紀の後半よりも前になるとは考えていない。

これは高速中性子炉(RNR)に関わるものであり、それはスーパーフェニックスがやろうとしていたことを1世紀遅れてやろうとしている。それが技術として大きな期待をかけられていたことは知っての通りだ。

しかし、もしも第四世代を放棄するならば、高い価値を与えた廃棄物中の諸物質のほぼ全てを分類し直す必要があり、また全ての報告を見直す必要がある。ASTRIDを信頼する人々がどれだけ少なくなろうとも、彼らはそれを守ろうとしている。したがって、ACROとFNE(「フランス自然環境」という名の数多くの環境NGOからなる協会)とグリーンピースは次のように主張する。

「この(高速炉に関する)ほとんど実現されなかった約束に基づいて、核物質と核廃棄物に関するフランスの管理政策を確立することには合理性がない。第四世代を必要としない別の管理の方法を提案することが必要だ。(…)

放射性廃棄物の中のいわゆる価値を高めうる諸物質を(廃棄物として)再分類することは、放射性廃棄物の管理に重大なインパクトを与えるだろうし、それは準備されねばならないことだ。フランスでは海外から持ち込まれた放射性廃棄物を保管することは禁じられている。海外(主に日本とドイツ)から送られてきた「価値を高めうる諸物質」は、それぞれの元国へ送り返されたら廃棄物になるのだろうか。(日本由来の「価値を高めうる諸物質」のうち95%を占める回収ウランは、廃棄物として分類されていないために、フランスに保管されている。しかし、回収ウランは実際のところ価値を持たないから日本はそれを送り返せとは言わないのではないか。)

情報公開

原子力の管理者たちは、使用済み燃料の95%がリサイクル可能だと強弁するが、それを実現する技術が存在しないことについては何も言わない。それは1%にも満たないのだ。

2010年と時と同様に、HCTISNはより明確な報告を要求したが、今のところ何の音沙汰もない。すなわち:

「しかし高等委員会は、原子力業界および「核燃料サイクル」に利害をもつ団体によって公開された情報と文書は、実施されている「核燃料サイクル」を明確に理解できるようには書かれていないと指摘する。「核燃料サイクル」に関する報告では、しばしば使用済み燃料の再処理で分離された諸物質の全てが、直ちに価値が高められるかのように 、解釈されている。例えば複数の報告において回収ウランの濃縮が根拠として取り上げられているが、それは2013年以降実施されていない。価値を高められうる物質の存在および保管についてはほとんど触れられることがない。結局、公開された諸要素からは、異なる段階にかかる時間を明確に理解することができない。」

よって、高等委員会は、「核燃料サイクル」に関与する産業と制度のアクターたちから構成される統一体が、より良い理解のために、以下のことについての情報を確認し完成させた上で、それぞれのサイトにおいて公表することを推奨する。

  • フランスで現実に行われている「核燃料サイクル」、特に流動的なものと、実際に価値を高められることを待つ貯蔵されているもの(使用済み燃料、再処理で分離された諸物質、劣化ウラン)、
  • 物質の利用と放射性廃棄物の管理に関わる利害をよりよく定義するための、特に次世代の未来のための「核燃料サイクル」の異なる諸段階に費やされる時間。」

結論

フランスは使用済み燃料を再処理する最後の国である一方で、この主題はタブーとなっている。再処理工場の重要性の低下は避けられないが、そのことは秘密となっている。さらに、施設は永続的に利用されるものではない。普通の核燃料を再処理する場合にかかる余分なコストもまた公表されていない。

核燃料サイクルと廃棄物に関するこの主題は議論に値する。すなわち、もしも現世代が問題について知識を持たなくなったら、未来の世代をどうやって守るのか。原子力業界は伝えるべき論点を持たず、その報告書は秘密となっている。そこで業界は世界のリーダーとしての地位を強調して、ナショナリストの音色を響かせようとする。だがフランスはほぼ一人ぼっちなのだ。


ASTRIDはAdvanced Sodium Technological Reactor for Industrial Demonstration(工業的実証のための先進的ナトリウム技術原子炉)を意味し、それはスーパーフェニックスと同じ技術を使い、それが実現できなかったことをするための増殖炉プロジェクトである。それは工業化の段階の可能性を実証するという野心のためのものである。スーパーフェニックスの電気出力1240MWeに対して、当初このプロジェクトの出力は600MWeだった。しかし2018年の初めに、この事業を所有する原子力庁(CEA)は、財政上の理由から政府に対してその出力を下げることを提案した。2039年の稼働を予想していた600MWeの実証炉を建造することに代えて、今後は100〜200MWeに出力を下げたプロジェクトを想定している。その建造については何も決定していないが、その支持者たちは、今世紀後半に完成すると話している。


アクロ(ACRO)による日 本の放射能モニタリング結果

(2012.07.12)

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福島原発の事故の後、アク ロは、日本でも市民によって環境放射能のモニタリングができるようにと協力をしてきました。

2011年3月
福島県の土壌と水 (2011年3月31日)

2011年4月
宮城県の野菜とシイタケ (2011年4月2日)
大阪市内のスーパーで購入した野菜(2011年4月22日)
日本の土壌と藁 (2011年4月12日 ~18日)
福島県相馬市の海水 (2011年4月16 日)

2011年5月
•  福島 県の海藻  (2011年5月4日~9日)
宮城県南部の土壌と水と野菜 (2011年5月14日~18日)
東京江東区のスラッジプラントの周辺のサンプル (2011年5月22日~25日)
茨城県南部と千葉県の土壌 (2011年5月15日~17日)
福島市の子供の尿 (2011年5月19日~21日)

2011年6月
福島県と宮城県の土壌と牧草 (2011年5月5日 ~4日)
福島県と宮城県の水道水 (2011年6月8日~19日)
福島市の野菜 (2011年6月18日 ~20日)

2011年7月
福島市と宮城県の野菜と 牛乳 (2011年7月3日 ~5日)
福島県小名浜港の魚 (2011年5月23日と7月23日 ~24日)
福 島の子 どもの尿分析(2回目)(2011年07月)
福島県、宮城県、神奈川県と北海道の土 (2011年6月28日~2011年7月31日)
福島県のジャガイモ (2011年07月)

2011年8月
東北の魚と海藻 (2011年8月19日~2011年8月22日)

2011年9月
東北の魚と海藻 (2011年9月13日~2011年9月14日)
福島県のサンプル (2011年9月)

2011年10月
東北の魚と海藻 (2011年10月12日~2011年10月13日)

2011年11月
掃除機のホコリや尿 (2011年9月~2011年11月)
福島県川俣のひらたけについての調査 (2011年11月)

2011年12月
東北の魚とカキ (2011年11月~2011年12月)

2012年01月
岩手 県一関市の食品 (2011年05月~2012年01月)
東北地方の掃除機からのハウスダスト (2012年01月)

2012年02月
日本各地の尿検査結果 (2012年02月)

2012年03月
日本各地の尿検査結果 (2012年03月)

2012年04月
食品 (2011年07月~2012年04月)
日本各地の尿検査結果 (2012年04月)

2012年05月
日本各地の尿検査結果 (2012年05月)
水と土壌 (2011年02月~2012年05月)

2012年06月
日本各地の尿検査結果 (2012年06月) 解説
-> 子供たちに対する放射能の説明、ACRO 2011

放射能測定に資金が必要です-ちくりん舎へカンパをお願いします


福島県の土壌と水 (2011年3 月31日)

すでに福島県からいくつかのサンプルがアクロに届き、測定の結果、基準を超える高い数値の放射性物質が検出されました。これらのサンプルは、日本の一般市 民によって採取されたものであります。

解説:

高度な濃度の放射能の汚染はチェルノブイリ原発事故と同レべルに値します。
アクロが測定したサンプルの中では、飯舘村前田の農地の土壌から最も高い放射性物質が検出されました。
放射性ヨウ素の値が一番高く、住民を避難させるべきであります。
長期的にみれば、半減期が約30年のセシウム137が最も心配されます。

土壌の測定の結果(単位はベクレル/ キロあたり)、その多くが、日本政府が定めた水田の土壌中の放射
性セシウムの濃度基準(5 000ベクレル以下/ 土1キログラムあたり)を上回るものでありました。
この結果をみれば、コメの作付けは見送られるべきです。

アクロが測定した数値(ベクレル/平方メートル)をチェルノブイリ事故後のベラルーシでの測定値と比べてみます。
185 000 –    555 000ベクレル/ m²           避難区域
555 000 – 1 480 000 ベクレル/m²           強制避難区域

ほとんどの測定結果の値はこの基準値を上回るものであります。

Download the analysis report in English

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宮城県の野菜とシイタケ  (2011年4月2日)

サンプルはフランスのテレビ局のレポーターによって宮城県から持ってこられま した。
これらは福島第一原発から約80キロの場所で採取されました。

解説:

野菜から検出されたセシウム137の値は基準値の500ベクレル/kgを大幅に上回っています。

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大阪市内のスーパーで購入した野菜 (2011年4月22日)

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日本の土壌と藁 (2011年4月12日~18日)

解説:

ACROは日本の市民が日本各地で 集めたサンプルを分析した。
福島から遠く離れた神戸では汚染は発見されなかった。佐賀(九州)と福井ではセシウム137の みが発見された。セシウム134が同じレベルで発見されないのでこのセシウム137は 過去の汚染であることを示している。
福島に近いところでは全てのサンプルは損壊した原発からの降下物による多数の放射性元素により汚染されている。
藁が高い放射能濃度であるのは藁が軽いことによる。一平方メートル当たりで同じ量の降下物による汚染でも、藁は土と比べるとキログラム当たりの汚染では非 常に高いものとなる。
前回の福島県からの土のサンプル分析ではヨウ素131が強く出ていた。しかしヨウ素131の 半減期は非常に短い(8日間)ので比較的早く消滅する。今回測定されたヨウ素はセシウ ムと比べ低い。
テルル129mは崩壊して半減期の非常に長いヨウ素129に なる。半減期は16百万年である。この核種は原発周辺で注意深く監視する必要があ る。
中間的なセシウム137は最もやっかいな核種とな るだろう。今回測定された濃度は全て日本政府により決定された米の作付基準であるキログラム当たり5,000ベクレルを下回っている。
1平方メートル当たりのセシウム137のベクレルを計算すれば、福島県の全てのデータはベラルーシで は移住の許可が与えられた185,000ベクレルを上回っている。
宮城県の汚染も極めて高いものである。それは以前に我々が宮城県の野菜で測定した高い汚染と符合する。

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福島県相馬市の海水 (2011年4月16日)

解説:

通常、海水の汚染は検出することができない。原発から40Km以上北に位置する相馬で発見された放射性元素は福島原発からの ものである。海水の汚染は海の生物に蓄積される特性をもっている。例えば海藻のヨウ素汚染は海水のそれに比べ1,000倍から10,000倍もの濃度になりうる。魚や貝類ではこの値は10倍 から100倍となる。セシウムは生物種により10倍 から400倍に濃縮される場合がある。

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福島県の海藻 (2011年5月4日~9日)

グリン ピースによって採取された海藻。

Download the analysis report in English

国際環境NGOグリーンピースが福島第一原発の南方80Km沖で採取した海藻のうち1つの試料を除き、その他全ての試料について警戒レベルの放射能汚染を計測しました。

ヨウ素131の濃縮数値においては、日本政府の設定した暫定基準値である2000bq/kgを遥かに超える数値が検出されました。

この藻類は福島第一原発の第2号機から高濃度の汚染水が海へ流出した時点から約1ヶ月後に採取された試料です。この結果は公に汚染について公表されたものは異なり、また同時に、汚染は残留するという事を立証しました。

海藻がこれほどまでのレベルに汚染されている事から、海水も同じ様に汚染されています。しかしながら、日本政府による検査分析はより厳密に行われるべきで あり、日本政府によって行われた検査の検出限界はヨウ素131は4bq/L、 セシウム134は6bq/L、セシウム137は9bq/L としています。 放射能物質は海洋生物に濃縮する事から、この政府の設けた検出限界よりもより低い検出限界を設定する必要があります。藻類で計測されるヨウ素汚染は水の汚 染と比較した場合、1000倍高い数値になる場合もあります。

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宮城県南部の土壌と水と野菜 (2011年5月14日~18日)

Download the analysis report in English

解説:

今回調査した宮城県南部の野菜は輸出が許可されるレベルの汚染度である。
これらの野菜と同時に収集した土は全て日本政府の米の作付基準以下の汚染度であった。すなわち、全てセシウム汚染は上限の5000Bq/kg以下である。
しかしながら、放射能に安全なしきい値は無いということに注意を払うことが重要である。
Fの畑の表面汚染はベラルーシでは定期的な監視が必要となる37,000Bq/m2 の基準を超えている。
今回の水のサンプルからは汚染は検出されなかった。

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東京江東区のスラッジプラントの周辺のサンプル (2011年5月22日~25日)

解説:

東京湾にある汚泥焼却プラントの周辺は高度に汚染されている。
この汚染はおそらく大部分が放射能に汚染された汚泥を焼却する焼却プラントからの煙によるものだろう。
セシウム137による表土汚染は定期的監視が必要となるベラルーシの基準である37,000Bq/m2を超えている。
植物の汚染も高い。キログラム当たりの値で表される事実から枯れ草と苔の鋭い違いがある。
この地域の汚染についてはより詳細な調査が必要である。
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茨城県南部と千葉県の土壌 (2011年5月15日~17日)

解説:

東京近郊で採取された土のサンプルは全て福島原発事故による降下物で顕著に汚染されている。
柏市(千葉県)のセシウム-137による表土汚染はベラルーシでは定期的監視が必要とされる37,000Bq/m2の基準を超えている。
この地域ではより詳細な調査が行われるべきである。

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福島市の子供の尿 (2011年5月19日~21日)

ACRO press release
Download analysis report

解説:

ACROは福島原発から約60Kmに位置する福島市に住む子どもの尿を分析した。その結果は極めて明確である:全てのサンプルは セシウム134と137に汚染されている。その濃度範囲は0.4から1.3ベクレル/リットルである。
このことは、これら6歳から16歳の子どもたち全員がセシウム134と137に汚染されていることを意味する。おそらくヨウ素1 31にも汚染されていた可能性があるが、ヨウ素131は素早く消失するため現在では検出されない。
これらのデータから全身の被ばく量を評価することは難しい。このことは放射能雲にさらされた人々と汚染された地域に住む人々の内 部被ばくを組織的に測定することを日本政府に強く求めている。これは簡単にできる(アントロポガンマメトリーにより(ホールボ ディカウンタのこと;訳注)。
内部被ばくの測定結果は公衆の被ばく量の評価において、その一部として考慮されるべきである。
今回の測定結果は、日本政府により決定された避難基準は高すぎるという我々の意見を補強するものである。ACROのみならず多くのNGOが、事故後1年間で20ミリシー ベルトと定められた基準を批判して来た。それはフランス政府により設定された事故後の基準である10ミリシーベルトの2倍であり 平常時の公衆の許容レベルの20倍である。
この内部被ばくは放射能雲によるものか、または汚染された食物によるもの、あるいはその両方による被ばくである。内部被ばくにつ いても放射能汚染による別の形態の被ばくとして付け加えられなければならない。この内部被ばくについての許容基準は減少されるべきである。

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福島県と宮城県の土壌と牧草 (2011年5月5日~19日)

Download analysis report

解説:

全てのサンプルは福島原発事故の降下物によるセシウム134と137に
汚染されている。その大部分は日本政府が決めた米の作付制限である
5000Bq/kg以下である。
温室の サンプルは雨よけの場所から収集されたものであり汚染は少ない。
2か所での表面汚染はベラルーシでは定期的監視が必要な37,000Bq/m2を
超えている。
牧草もセシウム134と137に汚染されているが放牧可能なレベルである。

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福島県と宮城県の水道水 (2011年6月8日~19日)

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福島市の野菜 (2011年6月18日~20日)

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福島市と宮城県の野菜と 牛乳(2011年7月03日~05日 )

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福島県小名浜港の魚(2011年5月23日7月23日~24日 )

グリーン ピースによって採取された魚。

国際環境NGOグリーンピースは8月9日、福島第一原子力発電所周辺で実施した、海産物の放射線調査において、福島県いわき市の小名浜港で採取したアイナメやクロメバルなどの魚から、暫定規制値を超える放射性物質を検出したことを発表しました。

サンプリングした海産物を、フランス原子力安全機関(ASN)認定機関のアクロ(ACRO)研究所で核種分析したところ、アイナメ(福島県小名浜港で採 取)から 1kgあたり749Bqのセシウム(Cs-134 + Cs-137)、クロメバル(福島県小名浜港で採取)から同1,053Bqのセシウム(Cs-134 + Cs-137)など、複数のサンプルから暫定規制値を超える放射性物質を検出しました。

魚 がこれほどまでのレベルに汚染されている事から、海水も同じ様に汚染されています。しかしながら、日本政府による検査分析はより厳密に行われるべきで あり、日本政府によって行われた検査の検出限界はヨウ素131は4bq/L、 セシウム134は6bq/L、セシウム137は9bq/L としています。 放射能物質は海洋生物に濃縮する事から、この政府の設けた検出限界よりもより低い検出限界を設定する必要があります。

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± 2σ

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福島の子 どもの尿分析(2回目)(2011年07月)

ACRO 記者会見発表

解説:

日本の市民からの要求によりACROは18人の日本人の子どもの尿を分析した。子どもたちは福島県および東京都その周辺の出身である。

福島県の15人の子どもたちは全て、約60キロメートル離れた場所での核事故による放射性降下物で尿が汚染され続けている。このことは子どもたち自身がずっと汚染され続けていることを示している。一方で、東京とその周辺の3人の子どもたちの尿からは汚染は検出されなかった。

日本政府により実施された検査では福島の子どもたちの約半数が汚染されているとしているが、我々の結果では100%である。このことは日本政府の測定精度が不十分であり全ての汚染を検出していないことによる。

最初の10人の子どもたちは我々が前回測定(結果は6月30日に発表)した子どもたちと同一である。子どもたちのうち9人はその後、福島を離れた。一人だけが留まっている(U2)。U6の子どもは3月末に避難した。U3とU4は5月末に避難した。3人は6月から7月始めに福島を去り、残りの3人も7月22日からの夏休みの始めに避難した。

後の5人の新しい子どもたちは福島市周辺に住んでいる。そのうちの一人は5月中旬に避難した(U14)。

U11とU12は同じ高校の生徒であり同じグラウンドで頻繁に運動の練習を行っている。2人の汚染の違いは食物からのものであろう。

子どもたちの親は汚染を減らそうと精一杯の努力をしているにもかかわらず、環境中への大量の放射性物質の放出から4カ月以上もたった後、採尿の時期に未だ福島にいる子どもたちは全て汚染されていた。避難は汚染を減らすための一つの方法である。子どもたちの間での内部被ばくのバラつきは食物によるものであろう。

福島の子どもたちの内部被ばくを正確に、系統的にかつ定期的に監視することが重要である。家族はこの汚染を減らすことができるように放射能の測定結果について知ることができなければならない。

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福島県の子どもの尿分 析 (2011年07月)

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± 2σ

 東京周辺の子どもの尿 分析結果 (2011年07月)

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福島県、宮城県、神奈川県と北海道の土 (2011年6月28日 ~ 2011年7月31日)

解説:

福島原発から75kmの宮城県南部に位置する白河市越河ではセシウムによる汚染の合計は343,000Bq/m2に達した。これはベラルーシでは住民は移住の権利が与えられるレベルである。
原発から66kmの宮城県角田市ではセシウムの汚染は合計で163,000Bq/m2である。ベラルーシでは継続的な放射能監視が必要なレベルに相当する。
原発から約300kmの横浜でもかなりの汚染がある。北海道富良野市は原発から670Kmである。

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福島県のジャガイモ (2011年07月)

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東北の魚と海藻 (2011年8月19日~ 2011年8月22日)

グリーン ピースによって採取された海藻と魚

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東北の魚と海藻 (2011年9月13日~ 2011年9月14日)

グリーン ピースによって採取された海藻と魚

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福島県のサンプル (2011年9月)

サンプルはフランスのテレビ局のレポーターによって福島県から持ってこられました。場所の詳細は確認されていません。
地元住民は川前町のホットスポットを知っている。

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東北の魚と海藻 (2011年10月12日~ 2011年10月13日)

グリーン ピースによって採取された海藻と魚

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掃除機のホコリや尿 (2011年9月~ 2011年11月)

掃除機のホコリ

ACROは日本の市民からの求めに応じて13軒の家の掃除機のホコリを分析した。原発から600Km離れた大阪を除いて、これらのホコリは全て福島での大惨事によるセシウム134と137で汚染されていた。

セシウムにより1キログラム当たり約20,000ベクレルという最も高い汚染を示したのは福島市渡利地区のものである。原発から約60 kmの場所にあるこの地域は特に汚染されている地域として知られており、コメの出荷も禁止されている。

北は岩手県一関市、南は東京の北の郊外に位置する千葉県柏市の住宅も相当に汚染されている。両市は原発から約200 km離れているが、汚染されたホコリは1キログラム当たりほぼ6,000ベクレルである。

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 東北の子どもの尿

ACROは日本の市民からの求めに応じて子どもたちの尿の分析を続けてきた。今回、福島からの尿が100%汚染されてはいなかったのは良いニュースではあるが、しかし依然として多くの子どもたちが汚染され続けており、そのレベルは減衰していない。

これらの子どもたちの何人かは掃除機のホコリの比較調査を行った家に住んでいる。しかしホコリと尿の汚染の間にはどんな相関関係もなさそうである。このことからは食品が指摘される。

事故を起こした原発からほぼ200Kmの岩手県一関市の尿が最も高い汚染であった。

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関東の子どもの尿

初めて東京の子どもの尿からセシウムを検出した。これはおそらく食品によるものである。

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福島県川俣のひらたけについての調査 (2011年11月)

解説:

今回、生のヒラタケを初めて分析した。それらは30分間水に浸したもの、水あるいは酢を加えた水で15分間煮たものである。これらの結果、水に浸したものでは、わずかに11%のセシウムが水に移ることが分かった。一方で煮出した水には31から32%のセシウムが移動した。

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東北の魚とカキ (2011年11月~ 2011年12月)

解説:

フランス人ジャーナリストがこれらの魚、カキを持ち帰った。 魚のセシウム汚染は500Bq/Kgの現在の規制よりは低い。しかしこれ らの魚のうち2品目は将来予定されている100Bq/Kgの規制を超えている。

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岩手 県一関市の食品 (2011年05月~ 2012年01月)

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東北地方の掃除機からのハウスダスト (2012年01月)

ACROは宮城県と福島県の掃除機から集められたハウスダストを分析した。全てのハウスダストが高いレベルで汚染されていることを確認した。ちなみに日本政府は廃棄物の放射能レベルを8,000Bq/kgと定めている。サンプルのうち2つはゴミ箱に酢捨てることはできないことになる。
家の汚染の継続的なモニタリングも必要であろう。

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日本各地の尿検査結果 (2012年02月)

ACROは日本のNGOや個人からの尿検査の要望に応えて無料での分析を行っている。今回の結果は福島原発から遠く離れた県からのものである。
3月11日からほぼ1年経過し福島原発から約220km離れた奥州市(岩手県)でも尿がまだ汚染されていることを示している。より近くの宮城県でも、特に丸森町で見られるように尿が汚染されている。
サンプルNo.11は前回の一関市の女児のものである。尿の汚染は顕著に改善された。両親は祖父母の菜園の野菜が汚染されているとは知らずに食べていた。ACROによる尿検査は、彼らが食生活を改善して予防ができるようにした。

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日本各地の尿検査結果 (2012年03月)

尿の 結果のコメントはこちらへ

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食品 (2011年07月~2012年04月)

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日本各地の尿検査結果 (2012年04月)

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日本各地の尿検査結果 (2012年05月)

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水と土壌 (2011年02月~2012年05月)

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日本各地の尿検査結果 (2012年06月)

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解説:

フランスのNGO ACROは日本からの依然として続く尿検査の強い要望に応え測定を行っている。ここに59例の新たな結果を公表する。
千葉県松戸市を除き、東京とその近郊の子どもたちの検査結果では汚染は検出されなかった。
環境中への大規模な(放射能)放出から1年以上たっても、福島原発からそれほど遠くない地域では子どもたちの尿は汚染されている。
これは特に福島地方で顕著だが近隣の宮城、栃木県でも同様である。これらの汚染は低いが長期に渡る。
宮城県栗原の子どもたちは全て自家の作物を食べている農家の子どもである。尿からの検出はセシウム134,137合計で1.68から2.5Bq/Lの範囲であり同一レベルである。
5人についてはフォローアップ検査である。全ての事例で汚染の減少が見られた。このことは、こうした検査が人々に注意を促す上で有効であることを示している。

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福島県の災害 – 日本の子供の汚染に関する新たなデータ

福島県の災害 – 日本の子供の汚染に関する新たなデータ

Version française

Fukushima disaster – New data on the contamination of Japanese children

子供たちへの原子力という大惨事の説明

ACRO
138, rue de l’Eglise
14200 Hérouville St Clair
France
https://acro.eu.org

よく知られているように、電気を作るためにいちばんよく使われる方法は、自転車のライトの発電機のように磁石を回転させるというものです。例えば風の力を使う発電や山から流れる水を使う発電の場合も(つまり風力発電と水力発電)その同じ方法を使っています。

しかし、自然の水と空気を使えない場合にはどうやって磁石を回転させる事ができるのでしょうか?そういう時には熱を使います。圧力鍋を使って水を沸かす時 に速いスピードで出てくる蒸気の力でプロペラを回す事ができます。その回っているプロペラが磁石を回転させて電気を作る事ができます。

電気を作るための熱を得るために、木、ガス、ガソリンを燃やしてお湯を沸かすという方法があります。または、、、原子力発電所を使うという方法もあります。
お湯を沸かすために原子力を使うという方法は一番複雑なやり方です。
さらに、それは日本人が身をもって経験したように一番危険な方法です。

なぜ危険なのでしょうか?原子力発電所の中でウランと呼ばれている自然の中で一番重い原子を2つに分裂するからです。(「子供たちのための原子力の説明」 を見て下さい)このウランという原子の分裂が信じられないくらいたくさんの熱を出します。しかし、分裂して小さくなったその2つのかけらは放射線を出しま す。なので、それらから身を守らないといけません。

そのために金属製のさやの中にウランを閉じ込めています。その放射線を出す原子が水の中に行かないように。
でも実際には放射能が少しも水の中に行かないようにする事はできません。なので、水は放射能で汚染されてしまいます。可能な限り最小限の放出となるよう試みているだけです。

福島で起きた大惨事の根本的な原因は原子力発電所が停止されてもウランの燃料棒からそのあとにもずっと出ている熱です。

だから、絶対にその燃料棒を冷やさないといけません。そうしなければ金属が溶けてしまい、放射能が水に溶けてその水自体が汚染されて大変危険になります。 そうならないように燃料棒を冷やすための水と、熱くなった水を吸い上げて冷やしてまた圧力鍋の中に戻すためのポンプが必要です。このポンプを動かすために は電気が必要です。

福島で運転していた原子炉は地震の後に自動的に止まりました。その時に原子力発電所は電気を作らなくなりました。さらに悪い事に、外から電気を運ぶはず だった電線が切れました。電気が無ければポンプは意味がありません。水の循環ができなくなったらウランの燃料棒がだんだん熱くなります。

その場合を考えて電気を作り出す非常用のエンジンが設置されています。その場合には電気を作る磁石を回すエンジンを運転するために石油が使われています。 そのエンジンにより作られる電気が原子力発電所を冷やすポンプを動かします。これらの機械はすべてつながっているので、どこか1カ所でも壊れると問題が次 から次へ起こります。

福島で起こった事はまさにそれでした。地震が起きてから1時間以内に原子力発電所の敷地を水浸しにして、日本の海岸を荒らした津波が非常用のエンジンの停止を引き起こしました。その場合の電気を提供する非常用のバッテリーがありますが、それは長持ちしません。

それに加えて福島では地震が配管に損害を与え、発電所を冷やすための水が早くも不足しました。なので、配管を修理するまでに海水が使われました。

もしも燃料が熱くなれば、水は沸騰しだします。そして圧力鍋の中の圧力が上がり、温度も上がります。
温度が300度に達すると、配管つなぎ目のどこかが持ちこたえられなくなります。そうすると水がもれ始めます。

未だに何が起こったのか全部の事が判っているわけではありませんが、地震が発電所の原子炉に損害を与えて、水のもれを引き起こした可能性が高いです。
水が蒸発した時に、4メートルの長さのウランの燃料棒の水の上に頭を出した部分がより熱くなります。燃料棒の金属にひびが入って、小さな放射性の原子が放 出されます。水の放射能汚染度がすごく高くなります。空気も同じです。それが福島第一原子力発電所の1号機でほんの3時間してから始まったようです。

水の上に頭を出した燃料棒の金属のさやのところに化学反応が起きて爆発しやすい水素が発生します。発電所所有者の東京電力の評価によると1号機の中に水素 800キログラムができてしまいました。地震のほんの24時間後に1号機の建屋が激しい水素爆発によりかなり破壊されました。結果的に全てで4つの原子炉 で爆発が起きました。

原子炉の中の水はものすごく放射能で汚染されて、その水のもれによって建物全部が大変な放射能汚染を浴びるということをいま上に述べました。そうなると人間が現場に近づけなくなります。地下も水浸しになっているので、回復した電気をつなぐ事ができません。

水が蒸発し続けて圧力鍋の中の圧力が高くなり、圧力鍋自体を破裂させる可能性があります。それを避けるためにガスを放出させなければなりません。そのガスは風によって運ばれ、広い範囲を汚染しました。人は汚染されたところから離れなければいけません。

原子炉の中の水がいったん無くなると、温度が3000度近くまで上がる可能性があります。燃料棒が溶けて、金属の容器の底に落ちて、底に穴を開ける可能性があります。そうするとさらに容器の下に流れて行きます。それは「メルトダウン」と呼ばれます。

福島第一原発の1号機では16時間足らずでメルトダウンが起きました。誰もメルトダウンを防ぐ事ができませんでした。メルトダウンは2号機、3号機でも起きて、その2号機、3号機は極めて悪い状態です。厚さ16センチの金属の容器にはおそらく穴があいています。

放射能が外に出ないようにするために圧力鍋が鉄筋コンクリート製の金庫のようなものに囲まれています。それが放射能汚染が極めて高い溶けた燃料と外の世界 の間の最後の障壁です。しかしこの障壁じたいにひびも入り、穴もあいていて、そうして放射能汚染が極めて高い水が漏れます。その水で地下が水浸しになって 海にあふれ出ます。2号機、3号機の場合はその水がすでにあふれ出て海がとても汚染されています。

容器の底に残った、溶けた燃料に関しては常に冷やし続けなければいけません。東京電力は最初の段階で消防車を使って水を注入しました。そのあとに一般のポンプを使いましたが、注入された水が地下のほうに漏れました。そういうやり方で問題を解決出来っこありません。

つまりメルトダウンのあとに絶対に外に漏れない圧力鍋の状態からポトポトとコーヒーを落とすコーヒーメーカーのような状態になりました。そのポトポト落ち るコーヒーがいま一番大きな問題になっています。地下に漏れた汚染水の量はすでに12万トン、または12万立方メートルに達しています。

東京電力は汚染された地下の水をろ過して、海に漏らさずにその水を原子炉の中にもう一度戻すために外国の企業の助けを頼りにして浄化装置を作りました。そして、わずかな時間で「閉じられた回路で」原子炉を冷やす事に成功したとホラを吹きました。

こんな状態の中で閉じられた回路という言葉を使うのはでたらめです。注入された水が地下にもれ続けるのでその水をポンプで吸い上げなければいけません。こ の水の一部は蒸発し、環境汚染を続けます。また、その水の一部は土の中にしみこんでゆきます。この行程を何年にも渡って続けなければいけません。なぜなら 穴をふさぐために近づく事、漏れを止める事が不可能だからです。その理由は放射能汚染が高すぎるからです。その汚染された水が遠いところまで広がらないよ うに東京電力は発電所を囲む大きな壁を地下に作りたいのです。この壁は地下の岩盤まで届く大きな壁です。

でも、問題はそれだけではありません。原子力発電所から出る燃料が何年にも渡って熱を出し続けます。そのためにその燃料を一時的に常に冷やさなければないプールの中に入れておきます。それぞれの原子炉ごとに一つずつプールがあります。

地震と津波のあとに福島第一原子力発電所の3つの原子炉のプールを冷やせなくなりました。そうして原子炉と同じぐらい危険、または原子炉よりも危険になり ました。というのはプールは原子炉と違ってバリアで囲まれていないからです。しかし、プールの中の燃料は原子炉の中の燃料よりも古いのでそれほど熱を出し ていないので、水の蒸発は原子炉よりもより遅いです。しかし4号機のプールの場合には事情が違います。そのプールが古い燃料と原子炉から取り出されたばか りのとても熱い使用済み燃料でいっぱいだったからです。
この4号機のプールのすぐ近くで水素爆発と火事が起こりました。その火事が最悪の大惨事に至るということが心配されました。しかしその後、東京電力がプールの中の映像を撮る事ができました。それによると燃料が溶けなかったように見えました。

8月のはじめにこの6つのプールが冷やされました。1、2、3、4号機のプールに関しては東京電力は新しい冷却システムを設置しなければいけませんでした。

地震が起きた時に5、6号機は停止していました。その5、6号機の燃料の一部分がそれぞれのプールの中に入れてありました。ディーゼル発電機が早く働いてその冷却ができました。5、6号機はそれほどの問題を含んでいないようです。

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子供たちに対する放射能の説明

ACRO
138, rue de l’Eglise
14200 Hérouville St Clair
France
https://acro.eu.org

 私たちが取り囲まれているすべての物質、水、大気、土、我々も小さな粒でできてい る。我々が「原子」と呼んでいる小さな粒である。全部で92種類あり、レゴのブロックのように、遠い星と我々の体自体も含む宇宙全体はなにもかも、この 92種類の原子から“作られている”。その他に人間の手によって作られた原子がある。

それぞれの原子には名前がある。もっとも小さい1番の原子は「水素」と呼ばれ、92番の最も重い原子は「ウラン」と呼ばれる。この2つの間には恐らくあ なたも知っている名前があるでしょう。例えば酸素、金、鉄など。一つの酸素原子にくっついた二つの水素原子は水という小さな塊を形成する。

本題に入る。いくつかの原子は「放射能」だと言われている。大砲のように、鉄砲のように、そのような原子は原子自身よりももっと小さい弾丸を発射するこ とができる。その小さな弾丸こそ危険である。というのも、人体を通り抜けることができるからだ。我々がレントゲンを撮ろうとするときのように。

原子炉の中には非常に多くの弾丸を放つ原子がある。というわけで、それらは我々が格納容器と呼んでいる金庫のような箱の中に閉じ込められている。福島原 発での問題は、それらの放射能が水中や大気中に逃げたことである。ある原子は発電所の近くの地面に落ち、もう一方は風によって地球全体のあちこちに運ばれ ている。

放射能は、ただ小さな弾丸を発射しているだけで、特定のものを狙っているわけではない。もしそれが我々の近くにあるならば、弾丸は遠くに離れる可能性が ある。しかし放能によって汚染された野菜を食べ、水を飲み、空気を吸っただけでも我々の体内で発射された弾丸は深刻な被害をもたらすのである。

もちろん、壊れた発電所の近くに落ちる原子の方が遠いところに飛んでいく原子よりもはるかにたくさんある。というのは、福島発電所全体とその周辺の汚染度は極めて高い。そこから放射能はあちこちに弾丸を発射している。

現場の労働者は、自分の身を守るために、体全体を防除服に包み、放射能の埃を吸わないように、顔にはマスクを着けている。しかし彼らは放射能の爆撃に対して何もできず、長い間その場にとどまることもできない。

遠く行くほど、原子は少なくなり、爆撃の危険性が減る。本当の問題は食飲摂取によるものである。

ほとんどの原子は一回にたった1つか2つの弾丸しか発射できない。そしてそれらはもはや放射能を含んでいない。いくつかは速く発射され、そして汚染は長 く続かない。弾丸がなくなったからである。現在、福島で排出された「ヨウ素131」と呼ばれる原子はその一例である。要素131の場合は、8日後、放射能 は半減する。また16日後には4分の1以下となる。このように徐々に減っていく。「セシウム137」と呼ばれる原子は30年間かけてその放射性物質を減ら す。従って長くとどまることとなる。そのため、長年の間身を守るために、汚染を監視するシステムが必要になるだろう。

ベクレルというのは、放射性原子の数を数える単位である。もし1000ベクレルあると言われたら、それは1秒間に1000もの弾丸が発射されていることを意味している。


子供たちのための放射能測定の説明

『放射能は極めて小さなたちの悪い原子によるものである。その原子は、小さな弾丸を発射することができる。』ということを私たちは前回の『子供たちのための放射能の説明』から学んできた。これらの弾丸は2通りの方法で人間を傷つける。

もし、あちらこちらに弾丸を発射する悪い原子がたくさんいるところに人がいれば、身を守るたった1つの方法は遠くへ逃げることだ。だから福島とチェルノブイリの発電所近くに住んでいた人たちは遠くへ移動しなければならなかった。

人間は放射能がすぐ側にあっても何も感じない上に、何も見えない、そして何も聞こえない。放射能から身を守るために特殊な機器で測定しなければならない。

この強い放射能の測定は小さな機器を使って行われる。原子が発射する弾丸がその機器に当たることで弾丸の数を測定するのである。弾丸が多くなればなるほど危険度は高くなる。

そうすると、その危険度が低いのか、高いのか、それともそれほどでもないのかはどのようにわかることができるのだろうか。

その危険度の判断は弾丸の種類がたくさんあるため、とても難しい。なぜならある弾丸は他の弾丸よりも悪かったりするからだ。また、全ての弾丸が同じ強さで当たるわけではない。他の弾丸よりもエネルギーを持っているためにさらに危険な弾丸もある。

弾丸によるけがの具合を推定するために、私たちは『シーベルト』という単位を使う。いくらかのシーベルトを浴びた人は何ヶ月後かに死ぬ恐れがある。一般的 には、ミリメートルのようにもう1つ小さい単位の『ミリシーベルト』を使って測定する。人は1年間に1ミリシーベルト以上の弾丸を浴びてはならない。なぜ なら、弾丸は時間が経ってから発症するガンやその他の病気を引き起こす可能性があるからだ。

これら全ての弾丸を監視するためにミリシーベルトを測定できる小さな機器がある。

放射性の原子があなたの近くにあるとき、その原子はどこも狙わずあちらこちらに弾丸を発射し、その中の極一部分があなたの体に当たる。あなたがいるところ に放射能がたくさんなければ、それほど危険な状態にはならない。しかし、放射能を放つ原子が少しでもあなたの体の中にあれば弾丸はあなたを傷つけ、とても 危険な状態になる。だから体の中にほんのちょっとでも弾丸があれば危険ということでる。

それを考えると私たちは自分たちが食べている物や、吸っている空気、飲んでいる水にも注意しなければならない。そのために食べ物や水、空気の中の放射能の量を常に検査しなければならない。

自然の中にはすでに放射能があるため、そこで食べ物などの中の放射能を検査するのはとても難しい。自然の中にある放射能に対して人間は何もできないし、放射能はあちらこちらに散らばっているのでその測定はややこしくなる。

例えば、ボール1杯のブルーベリーの中に放射性の原子による弾丸がどのくらいあるのか数えてみるとする。すると、ブルーベリーの中から出てくる弾丸もあれ ばボールやテーブルから出る弾丸もある。もしブルーベリーの中に放射能が少ししかなければ近くにいても危険ではないけれど、私たちはそのブルーベリーを食 べることができないかもしれない。それでは、そのブルーベリーを食べられるかどうかを知るためにはどうすればよいのか?

ACROという私たちフランス市民の研究所と他の研究所では2つのコツを使っている。まず、ボール1杯のブルーベリーを鉛の金庫の中に入れておく。その金 庫は遠くからきた自然の弾丸を止めることができる。ACROが使っている機械はかなりいい機械である。その機械は弾丸のエネルギーを測ることができるし、 弾丸が自然からのものなのか、ブルーベリーの中にあるものなのかを識別することもできる。そうすると、ブルーベリーの中に放射能汚染による原子がどのくら いあるか正確に知らせることができると同時に、そのブルーベリーを食べても大丈夫かそうでないかも判断することができる。1回測定するのに何時間もかか る。

その結果をベクレルで表す。ベクレルの数は食べ物や水、空気の中に放射性の原子がどのくらいあるのかを表す。例えば、日本政府は1キロの食べ物の中にセシウム137が500 ベクレル以上あってはならないと決めた。

もし、汚染された食べ物を食べたら、そのけがの深刻さを直接測ることができない。なので、私たちはその汚染された食べ物にどのくらいミリシーベルトがあるのか知るために様々な計算をする。

これら全てのミリシーベルトは体の中に蓄積されるので注意しなければならない。

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Nuclear Wastes Management: The Lessons from the CSM Disposal Site (Centre de Stockage de la Manche)

Memory-less Centre, Future-less Centre?

Realized for Greenpeace France
23rd may 2006


Realized for Greenpeace France
23rd may 2006


Synthesis: the lessons from the CSM disposal site (Centre de Stockage de la Manche)
The past was dead and the future unconceivable” George Orwell, 1984

For the CEA, which was responsible for it during all its active phase, “the CSM site, after twenty-five years of good and faithful services, has now become an international reference regarding the techniques of wastes disposal.” As the future of French nuclear wastes is currently being debated, we find important to draw the lessons from the management of this site.

Because the storage preceded the regulations in that field, the site is no longer satisfactory in regard to the current surface disposal standards. All sorts of things were disposed of and stored there, on the ridge of ground water and without any weather protection. Regarding the older wastes, the inventory was of the most whimsical kind and very likely bellow reality. But the most serious part is that the CEA sites have rapidly ridden themselves of embarassing wastes before the regulations became stronger. The Turpin Commission has shown evidence of this fact in the case of plutonium. This crime commited is very shocking because the knowledge implying procedures revision was elaborated in the very same organization. Over 10% of the volume stored in the site is of foreign origins, in spite of a French law forbidding this practice.

Due to the large amount of long life elements and the toxic chimicals it contains, the CSM will never go back to the ordinary and it will remain forever. Its status is therefore distinct from that of the CSA (which only receives wastes material selected according to strict criteria); it is actually closer to what could be an underground disposal site supposed to receive, far from sight, all the embarassing wastes. The geological barrier only delays slightly the surfacing of problems.

Because of its empirical management, it is causing damage to the environment. Consequently to the repeating incidents which added up to a constant and diffuse release, the ground water and many outlets are highly contaminated with tritium. We must note that for a long time there was a lack of information regarding this chronic pollution, and even now a precise assessment of its impacts still needs to be done. As far as the situation, it could worsen in the long run because there is no garanty that the wrappings of the older wastes, which also contain more hazardous elements, will last for such long periods of time. When a new contamination is detected it will be too late.

In spite of this, there is no dismantling plan of the site, not even a partial one. The argument generally put forward, besides the economic costs of the operation, is the health risks posed by the operation which would be greater than the risks related to its impact on the environment. On top of it, there is no other solution for the extracted wastes which should not be accepted by the CSA. It is therefore more comfortable for the nuclear officials and the public authorities to consider this matter settled.

How then can this center be given in heritage to the future generations ?
How will memory be transmitted if even our generation does not know exactly anymore what is in it ?
Above all, how can we give them the possibility of an opinion regarding their future which would be different from that which is currently underway ?
These fundamental questions must be considered for all the other radioactive wastes.

The CSM exemple shows us how vain a long term passive management based on forgetting is. The supposed reversability of the forecoming storage is only delaying for a few generations the shutting down dilemma, without solving it.

The protection of the future generations draws consensus when discussing the management of nuclear wastes. But when it is about the current generation, the consensus vanishes… The public is absent from the waste management legislation project presented by the government, which ignores the public consultation it ordered. Now, if the CSM is a memory-less center, it is because the management was done behind closed doors and it is important not to repeat this.

The well-being of the future generations, for whom the wastes management must be limitted, therefore often appears as a thoughtless reflection used to make anything pass. Leaving them means of action implies keeping the memory of this burden alive. Historical examples show that it is because of the redundancy of information preserved under different shapes that it was possible to transmit it from generation to generation, despite unknown factors. Therefore there is a moral obligation to share the knowledge about nuclear wastes with the population. Unfortunately, the current nuclear debates have failed to mobilize crowds, because citizens had the impression that they were powerless in the decision-making process. Why get involved if the decisions have already been made ? Hence it is important to implement a democratization mechanism regarding wastes management, in order to insure its memory transmission.

The other element at stake is the transmission of a memory that would faithfully translate the inventory, which is not the case of the CSM. There again, there is a need for a democratization of the decision-making process, including more opening upstream which would give civil society enough time to appropriate the problematic. It is in this perspective that the ACRO has been working ever since its creation.

In conclusion, the safety of the future generations regarding nuclear wastes management implies a better governance in the current management, relying on a larger democracy. It would be a shame and a danger if the opportunity of the current legislation project was missed for another ten years. Even more so because unfortunately there is a considerable lateness to make up for and wastes like those at the CSM, of which the future is officially settled, still need to be addressed.


Summary of the 1st part: The universe of the CSM Disposal Site (Centre de Stockage de la Manche)

The CSM Disposal Site was built in the Eastern part of the reprocessing plant of La Hague, in a place named the « High Marshes », a particulary humid zone. This is undoubtedly the worst choice when knowing that water is safety’s worst enemy. The first wastes were stored on the very ground, and then in concrete trenches, which were regularly flooded. Some of these structures were dismantled, others are still there, on the ridge of ground water. While the storage preceded the regulations in that field, the empirism which led the construction of this site is already a source of concern which should worsen in the future.

The storage structures and the wastes quality evolved with time towards more rigour. But each strengthening of the legislation triggered a de-storing of the CEA sites during the previous years. This crime commited is very shocking because the knowledge implying procedures revision was elaborated in the very same organization. The ACRO had also denounced similar practices just before the closing down of the site in 1994. Nowadays, the CSM site contains many long life elements which are not accepted anymore at the CSA site which took over. There are, among other things, 100 kg of plutonium, as well as many other alpha emitting elements particularly toxic in case of contamination. If we add up the chimical toxics whixh will not disappear with time, including almost 20 tons oflead and one ton of mercury, the CSM site shall never go back to the ordinary. At the time of its closing down, the ANDRA shamelessly announced that this sie could go back to nature after 300 years and that its coverage was definitive.

The inventory of the stored wastes is not precisely known. During the irst years, the identification documents of the senders alone were enough. Storm errased part of this memory and the information about the first years are unreliable. Some of the storing structures too, and a part of the wastes escape the surveillance system that was set up. A retired ANDRA employee goes so far to evoque collapsing risks. In case of a problem, the ground waters will be hit an dit will be to late. According to our estimations, over 10% of the 527 217 m3 of stored wastes are of foreign origin, in total violation of the French law. While the issue of shallow storage is fficially considered as « settled », it is legitimate to wonder about the future of the CSM site. It is also necessary to draw the lessons from these setbacks for the other wastes waiting for a solution.

Without the associations’ civil surveillance and the warning revelations of an anonymous whistle blower who sent some documents to the ACRO, the ANDRA plan would have been endorsed by the authorities. The pluralistic commission which led an inquiery following the ACRO revelations in 1995 estimated that this stora is irreversible. Based on a study by the ANDRA, it indeed estimates that getting the wastes back is unreasonable because of health and financial costs. Above all, there is no solution for a part of these wastes which should not be accepted by the CSA.

Environmental requirements have evolved along the 25 years of exploitation of the CSM site. These requirements should evolve even more on time scales involving several generations. The reversibility of storage is therefore a moral constraint followng the precaution principle. It is generally though tof as a means to make projects more socially acceptable by the authorities. But reversibility is not just a technical problem and it should lead to rethink entirely the radioactives materials management in a democratic way. The option of a durable storage had the favors of the public during the national debate, but it s unfortunately ignored by the authorities which prefer a strategy based on oblivion.

The situation is the same for the CSM site. After the current phase of surveillance, a new cover is planned in order to switch to a more passive phase. The decision not to get back all or a part of the wastes is based on some ANDRA studies which received no detailed counter-assessment. We have, in vain, asked the surveillance commission of the site to promote the implementation of a pluralistic reflection which would have to consider the mentioned risks before making the decision to definitively close the site. This demend is particularly important to us before deciding to give the future generations such a threat in heritage.


Summary of the 2nd part: The water pollution of the ecosystems by tritium

In the past, the river Sainte-Hélène which runs not far from the CSM disposal site contained cesium-137 in proportions 100 to 1000 times higher than in the other neighboring streams. This abnormality was parallelled with the presence of other fission products and high quantities of plutonium: the sediments contained more than 140 Bq/kg of plutonium-238, that is 5,000 times more than the river Rhône downstream from the Creys-Malville complex (Superphénix). The CSM was the source of it. Since then, the causes have been neutralized and there are only traces left of this massive former pollution.

But at all times tritium (radioactive hydrogene) was found on site. Today still, many rivers, aquifers, resurgences and wells are concerned.

Since the very opening of the site, large amounts of tritium were disposed of. In 6 small squares of the so-called TB2 structure, the equivalent of three, maybe 15, years of tritium wastes issued from the current electric nuclear park in a whole were stored. Estimations vary depending on the era, highlighting the lack of knowledge regarding waste contents.

But this tritium was not inclined to stay in place, and in october 1976 a massive contamination of ground and surface waters started. All which could be recaptured was, and the stored amounts were radically reduced.

This incident revealed, besides dysfonctionments and an inppropriate storage procedures, the leaking of tritium through the containers and structures. This phenomenon, which started as soon as the first tritium wastes arrived, still exists today and will cease when there is no more tritium in the parcels.
Because the site manager refused to sufficiently protect the wastes from weather exposition during the 25 years of its exploitation, including while it was implementing solutions for the CSA site, the situation degraded in La Hague. The lixiviation of the wastes by rainwater considerably increased leaks.

The CSM has therefore always been “losing”, and is still “losing” its tritium under other ways than radioactive decrease, a fundamental principle of nuclear wastes elimination. The data analysis dated after 1986, which is the only data available, tends to suggest that at least 20% of the stored tritium may have “vanished” in the environment until now. In a memo dated 12/18/92, the manager even estimated at 1,850 TBq [130% of the tritium inventory of the site (ndlr)] the activity lost in the ground following the 1976 incident.

Liberated from the structures, this tritium mainly follows the natural water ways. It tends to reach the underlying aquifers but also the atmosphere. It is therefore destined to be “eliminated”, one way or another, through dilution and spreading in nature.
During the year following the october ’76 incident, the ground waters contamination could reach 600,000 Bq/L and that of the river Sainte-Hélène more than 10,000 Bq/L. It is considered that the worst is behind us. In 1983, an aquifer reached 6 million Bq/L! Experiment? Incident? Accident? The public and the neighboring population still do not know. Just as then, they do not know that “concerted” releases are being done in the river Sainte-Hélène, which led in october 1982 to a water contamination reaching 50,000 Bq/L.

After the last parcel was delivered, and the cover built, indicators then showed evidence of the beginning of an improvement process of the radiological quality of the underground waters.

Without any industrial leaks or unforseen events, the water content in tritium must be around 1 Bq/L. From a health point of view, the WHO has considered since 1993 that water destined to human consumption should not contain more than 7,800 Bq/L in tritium. As regarding Europe, since 1998 it aims not to go over 100 Bq/L.

In 2005 the pollution is not yet resorbed. It has generally declined. Still, the contamination of controled ground waters can still reach 190,000 Bq/L. And 20% of the contaminated aquifers do not show the expected reduction if we consider the radioactive decrease conjugated with the water renewal. Even stranger, some even tend to increase.

During all those years, the tritium pollution is becoming pervasive. It is geographically spreading onto the northern side. It reaches wells, resurgences and the main streams which run down the basin.
Currently, all streams (the Roteures, the Sainte-Hélène and the Grand Bel) have in common to be contaminated by tritium, at varying levels comprised between a dozen and several hundreds of becquerels per liter. Regarding the first two, the resurgences drain more contaminated waters along the first kilometer than in the stream at the same place. A few hundred meters downstream from the river Sainte-Hélène, one could measure in 2003 up to 700 Bq/L of tritium in a resurgence. And this situation is not in contrast with that which the ACRO measured a dozen years ago, this time at the foot of a family house. In the case of the river Grand Bel, polluted at the source, there again the tritium concentration in the waters has not evolved since 1994! It steadily remains between 750 ± 100 Bq/L at the source.

The observation of those last years brong up some questions. Why has the tritium contamination not radically declined as one could have expected, if we consider dilution conjugated with radioactive decrease? Even if we only consider the radioactive decrease, the levels should have decreased of 50% compared with 1994. Still, they remain approxilately the same in some points, which implies that the mobilized tritium has increased.

The resurgence and stream waters may not be directly used for human consumption, but they are for the cattle and even for the garden. In the case of a cow regularly given tritium-containing water to drink, transfers take place with the milk. They are confirmed in la Hague we refer to milk controls done by a nuclear operating structure other than the ANDRA, since the latter has not ben doing any such controls since the beginning. And the results of the transfers do not stop there. The tritium, which is radioactive hydrogene, can be “exchanged” and enter the composition of organic material, therefore of life. Flesh, fat, vegetable, etc. may be concerned. The ways to affect man then multiply. But one would have to at least want to know about them.

Cleaning the water pollution of ecosystemes is a moral necessity. It is unacceptable to watch the manager of a nuclear wastes disposal site resign when faced with a radioactive element such as tritium which he was not able to contain on site, and abandon it at the foot of houses, at the bottom of fields. It is necessary at the very least to study, as ACRO has been demanding, the possibility to use the recognized pumping method which consists in drawing from the ground water to discharge in the sea, in the hope to see a slow decline of surface waters contamination and to handle in a controled and organized way the radioactivity movements towards the environment.


Result of analysis

Ancien lien

Gestion des déchets radioactifs : les leçons du Centre de Stockage de la Manche (C.S.M)

Centre Sans Mémoire, Centre Sans Avenir ?

Rapport d’étude réalisé à la demande de Greenpeace France
23 mai 2006


Synthèse : les leçons du CSM

« Le passé était mort, le futur inimaginable », George Orwell, 1984

Pour le CEA, qui a en eu la responsabilité durant toute sa phase active, « le site de la Manche, après vingt-cinq ans de bons et loyaux services, figure désormais comme une référence technique internationale dans le stockage des déchets ». A l’heure où est débattu l’avenir des déchets nucléaires français, il nous paraît important de tirer les leçons de la gestion de ce centre.

Parce que le stockage des déchets y a précédé la réglementation en la matière, ce centre ne satisfait plus aux normes actuelles concernant le stockage en surface. On y a stocké et entreposé tout et n’importe quoi, sur les crêtes des nappes phréatiques et sans aucune protection vis à vis des intempéries. Pour les déchets les plus anciens, l’inventaire est des plus fantaisistes et fort probablement en dessous de la réalité. Mais le plus grave, est que les centres du CEA se soient débarrassés rapidement de tous les déchets gênants avant chaque durcissement de la réglementation. La Commission Turpin l’a bien mis en évidence à propos du plutonium. Ce délit d’initié est extrêmement choquant car c’était dans ce même organisme qu’étaient élaborées les connaissances impliquant de revoir les procédures. Pas vu, pas pris. Plus de 10% des volumes stockées sur le centre sont d’origine étrangère malgré la loi française qui interdit cette pratique.

De part les éléments à vie longue qu’il contient en grande quantité et les toxiques chimiques, le Centre Manche ne sera jamais banalisable et est là pour l’éternité. Son statut se distingue donc du Centre de l’Aube (qui ne reçoit que des déchets triés respectant des critères stricts) et s’apparente plus à ce que pourrait être un stockage souterrain à l’abri des regards qui est supposé accueillir tous les déchets gênants. La barrière géologique ne constitue qu’un décalage temporel dans l’apparition des problèmes.

A cause de sa gestion empirique, il porte atteinte à l’environnement. Suite à des incidents à répétition qui viennent s’ajouter à un relargage diffus en continu, les nappes phréatiques et de nombreux exutoires sont fortement contaminés en tritium. Force est de constater qu’une information sur cette pollution chronique a longtemps manqué et encore aujourd’hui, un bilan précis de son impact reste à faire. Pour autant, la situation pourrait s’aggraver à long terme car les emballages des déchets les plus anciens, qui contiennent aussi les éléments les plus nocifs, ne sont pas garantis sur de si longues périodes. Lorsqu’une nouvelle contamination sera détectée, il sera trop tard.

Cependant, il n’est pas prévu de démanteler ce centre, même partiellement. L’argument généralement avancé, outre le coût économique, est que le risque sanitaire lié à l’opération serait supérieur au risque lié à son impact sur l’environnement. Surtout, il n’y a pas d’autre solution pour les déchets extraits qui ne sauraient être acceptés au Centre de l’Aube. Il est donc plus confortable pour les opérateurs du nucléaire et les pouvoirs publics de considérer ce problème comme réglé.

Comment léguer alors ce centre aux générations futures ? Comment en transmettre la mémoire si même notre génération ne sait plus ce qu’il contient exactement ? Surtout, comment leur permettre d’avoir une opinion sur son avenir qui diffère de celle qui est prévue actuellement ? Ces questions fondamentales doivent être prises en compte pour tous les autres déchets radioactifs.

Cet exemple du Centre de Stockage de la Manche montre qu’une gestion passive à long terme basée sur l’oubli est vaine. La réversibilité supposée des stockages à venir ne fait que reporter de quelques générations le dilemme de la fermeture, sans le résoudre.

La protection des générations futures, fait l’objet d’un consensus quand il s’agit de gestion des déchets nucléaires. Mais dès qu’il s’agit de la génération actuelle, le consensus disparaît… Le public est le grand oublié du projet de loi sur les déchets présenté par le gouvernement qui méprise la consultation qu’il a lui même voulue. Or, si le Centre Manche est un centre sans mémoire, c’est parce que sa gestion était confinée et il est important de ne pas renouveler ce huis clos.

Le bien-être des générations futures, pour lesquelles le fardeau de la gestion des déchets doit être limité, apparaît donc souvent comme un argument utilisé sans réflexion pour faire accepter tout et n’importe quoi. Leur laisser des moyens d’agir signifie garder la mémoire de ce fardeau. Or, les exemples historiques montrent que c’est grâce à la redondance de l’information gardée sous plusieurs formes qu’elle peut être transmise de générations en générations en faisant face aux aléas. Il y a donc un impératif moral à partager avec la population la connaissance sur les déchets nucléaires. Les débats actuels sur le nucléaire n’ont malheureusement pas mobilisé les foules car les citoyens avaient le sentiment de n’avoir aucune emprise sur le processus de décision. Pourquoi s’investir si les décisions sont déjà prises ? Il importe donc de mettre en place un mécanisme de démocratisation de la gestion des déchets nucléaires pour en garantir la mémoire.

L’autre enjeu est de transmettre une mémoire qui traduit honnêtement l’état des lieux, ce qui n’est pas le cas du Centre Manche. Là encore, la démocratisation des processus de décision avec une ouverture plus en amont, laissant le temps à la société civile de s’approprier la problématique est indispensable. C’est dans ce sens que tente d’œuvrer l’ACRO depuis sa création.

En conclusion, la sauvegarde des générations futures en matière de gestion de déchets nucléaires passe par une meilleure gouvernance de la gestion actuelle, s’appuyant sur une plus grande démocratie participative. Il serait dommage et dangereux que le projet de loi actuel loupe ce coche pour dix ans encore. D’autant plus qu’il y a malheureusement un immense retard à combler et que les déchets comme ceux du Centre Manche, dont le sort est officiellement réglé, sont encore à prendre en compte.


Résumé de la 1ère partie : L’univers du Centre de Stockage de la Manche

Le Centre de Stockage de la Manche a été construit dans la partie Est de l’usine de retraitement de La Hague, à un endroit qui s’appelle le « Haut Marais », zone humide par excellence. C’est sans doute le plus mauvais choix quand on sait que l’eau est le principal ennemi de la sûreté. Les premiers déchets ont été mis à même la terre, puis dans des tranchées bétonnées, régulièrement inondées. Certains de ces ouvrages ont été démantelés, d’autres sont encore là, à la crête des nappes phréatiques. La pratique ayant précédé la réglementation, l’empirisme qui a guidé l’édification de ce centre suscite déjà de nombreuses inquiétudes qui devraient s’aggraver dans l’avenir.

Les structures d’accueil et la qualité des déchets ont évolué au cours du temps vers plus de rigueur. Mais, avant chaque durcissement de la réglementation, le CEA a renvoyé au CSM des déchets qui ne pourraient plus être acceptés par la suite. Ce délit d’initié est d’autant plus choquant que c’est dans ce même organisme qu’étaient élaborées les nouvelles règles. L’ACRO avait aussi dénoncé des pratiques similaires juste avant la fermeture du site en 1994. De nos jours, le centre Manche contient de nombreux éléments à vie longue qui ne sont plus acceptés sur le centre de l’Aube qui a pris le relais. Il y a notamment près de 100 kg de plutonium, ainsi que de nombreux autres émetteurs alpha particulièrement toxiques en cas de contamination. Si l’on ajoute à cela les toxiques chimiques qui ne disparaîtront pas avec le temps, dont près de 20 tonnes de plomb et une tonne de mercure, le centre Manche ne pourra jamais être banalisé. Au moment de sa fermeture, l’ANDRA annonçait sans vergogne que ce centre pourrait être rendu à la nature au bout de 300 ans et que la couverture était définitive.

L’inventaire des déchets stockés n’est pas connu avec précision. Durant les premières années, seuls les bordereaux des expéditeurs faisaient foi. Une tempête a effacé une partie de cette mémoire et les informations concernant les premières années ne sont pas fiables. Certaines structures d’accueil non plus et une partie des déchets échappent au système de surveillance mis en place. Un employé de l’ANDRA à la retraite va jusqu’à évoquer des risques d’effondrement. En cas de problème, ce sont les nappes phréatiques qui seront touchées et il sera trop tard pour agir. Selon nos estimations, ce sont plus de 10% des 527 217 m3 de déchets stockés qui sont d’origine étrangère, en violation flagrante de la législation française. Alors que la question du stockage en surface est officiellement considérée comme « réglée », il est légitime de s’interroger sur l’avenir du centre Manche. Il est tout aussi nécessaire de tirer les leçons de ses déboires pour les autres déchets en attente de solution.

Sans la vigilance citoyenne des associations et les révélations d’un lanceur d’alerte qui a envoyé anonymement des documents à l’ACRO, c’est le plan de l’ANDRA qui aurait été avalisé par les autorités. La commission pluraliste qui a enquêté après les révélations de l’ACRO en 1995 a estimé que ce stockage est irréversible. En se basant sur une étude de l’ANDRA, elle estime en effet qu’aucune reprise des déchets n’est raisonnable en raison des coûts sanitaires et financiers. Surtout, il n’existe aucune solution pour une partie de ces déchets qui ne sauraient être acceptés au centre de l’Aube.

Les exigences en matière d’environnement ont changé durant les 25 années d’exploitation du centre Manche. Ces exigences devraient évoluer encore plus sur des échelles de temps impliquant plusieurs générations. La réversibilité des stockages est donc une contrainte morale qui découle du principe de précaution. Elle est généralement pensée comme un moyen de rendre les projets socialement plus acceptables par les autorités. Mais la réversibilité n’est pas seulement un problème technique et doit conduire à repenser entièrement la gestion des matières radioactives de façon démocratique. L’option d’un entreposage pérennisé avait les faveurs du public lors du débat national, mais est malheureusement ignorée par les autorités qui préfèrent une stratégie basée sur l’oubli.

Il en est de même pour l’avenir du centre Manche. Il est prévu, qu’après la phase de surveillance actuelle, une nouvelle couverture soit mise en place afin de passer à une phase plus passive. La décision de ne pas reprendre tout ou une partie des déchets est basée sur des études de l’ANDRA qui n’ont pas été contre-expertisées dans le détail. Nous avons, vainement, demandé à la commission de surveillance du centre de promouvoir la mise en place d’une réflexion pluraliste qui aurait à se pencher sur les risques évoqués avant de décider de fermer définitivement le site. Cette revendication nous tient particulièrement à cœur avant de décider de léguer une telle menace aux générations futures.


Résumé de la 2ème partie : La pollution des écosystèmes aquatiques par le tritium

Par le passé, la Sainte-Hélène qui s’écoule non loin du Centre de Stockage de la Manche (CSM) avait une teneur en césium-137, de 100 à 1000 fois plus élevée que dans les autres cours d’eau voisins. Cette anomalie s’accompagnait de l’existence d’autres produits de fission et de teneurs impressionnantes en plutonium : les sédiments contenaient plus de 140 Bq/kg de plutonium-238, soit 5000 fois plus que dans ceux du Rhône en aval des installations de Creys-Malville (Superphénix). Le CSM en était à l’origine. Depuis les causes ont été maîtrisées et il ne subsiste plus que les vestiges de ces anciennes pollutions massives.

Mais de tout temps, du tritium (hydrogène radioactif) fût trouvé. Aujourd’hui encore, de nombreux cours d’eau, aquifères, résurgences, puits sont concernés.

Dès l’ouverture du centre, on a voulu stocker de grandes quantités de tritium. Dans 6 petites cases de l’ouvrage dénommé TB2, l’équivalent de trois, peut-être 15, années de rejets tritiés de l’ensemble du parc électronucléaire français actuel a été entreposé. Les estimations varient avec les époques, soulignant la méconnaissance du contenu des déchets.

Mais ce tritium n’a pas daigné rester à sa place, et ce fût le point de départ, en octobre 1976, d’une contamination massive des eaux souterraines et superficielles. Tout ce qui pu être repris l’a été, et les quantités stockés ont été réduites de manière drastique.

Cet incident à mis en exergue, outre des dysfonctionnements et une inadaptation du procédé de stockage, la diffusion du tritium à travers les colis et ouvrages. Ce phénomène, qui a débuté dès la réception des premiers déchets tritiés, existe encore de nos jours et cessera quand il n’y aura plus de tritium dans les colis.
Parce que le gestionnaire du centre s’est refusé à protéger correctement les déchets des intempéries durant les 25 années d’exploitation, y compris durant la période où il déployait des solutions sur son centre de l’Aube, la situation s’est aggravée à La Hague. La lixiviation des déchets par les eaux de pluie a augmenté considérablement les relâchements.

Le CSM s’est donc toujours « vidé », et se « vide » encore de nos jours, de son tritium par d’autres voies que celle de la décroissance radioactive, principe fondamental de l’élimination des déchets nucléaires. L’analyse des données postérieures à 1986, les seules disponibles, tend à suggérer qu’au moins 20% du tritium stocké se seraient « évanouis » dans l’environnement à la date d’aujourd’hui. Dans une note datée du 18/12/92, le gestionnaire estimait même à 1850 TBq [130% de l’inventaire tritié du site (ndlr)] l’activité perdue dans le sol à la suite de l’incident de 1976.

Libéré des ouvrages, ce tritium suit principalement les voies naturelles de l’eau. Il tend à rejoindre les aquifères sous-jacents mais également l’atmosphère. Il est donc voué à être « éliminé », d’une manière ou d’une autre, par dilution et dispersion dans le milieu naturel. Dans l’année qui suit l’incident d’octobre 76, la contamination des eaux souterraines a pu avoisiner les 600 000 Bq/L et celle des eaux de la Sainte-Hélène plus de 10 000 Bq/L. On pense le pire passé. En 1983, on atteint 6 millions de Bq/L dans un aquifère! Expérimentation ? Incident ? Accident ? Le public et les riverains ne savent toujours pas. Tout comme à l’époque ils ne savent pas qu’il est procédé à des rejets dits « concertés » dans la Sainte-Hélène, lesquelles conduisent en octobre 1982 à une contamination des eaux de l’ordre de 50 000 Bq/L.

Le dernier colis livré, la couverture mise en place, les indicateurs témoignent alors de l’avènement d’un processus d’amélioration de la qualité radiologique des eaux souterraines.

En l’absence de rejets industriels ou d’aléas, la teneur des eaux en tritium doit être de l’ordre de 1 Bq/L. Sur le plan sanitaire, l’OMS considère depuis 1993 que les eaux destinées à la consommation humaine ne devraient pas avoir  une teneur en tritium supérieure à 7800 Bq/L. Quant à l’Europe, à partir de 1998, elle s’est fixée pour objectif que ces mêmes eaux ne dépassent pas 100 Bq/L.

En 2005, La pollution n’a pas encore disparu. Elle a globalement diminué. Pour autant la contamination des eaux souterraines contrôlées peut encore atteindre 190 000 Bq/L. Et 20% des aquifères contaminés ne témoignent pas de la diminution attendue si on conjugue la décroissance radioactive au renouvellement des eaux. Fait étrange, certains tendent même à augmenter.

Durant toutes ces années, la pollution par le tritium devient insidieuse. Elle se répand géographiquement sur le versant nord. Elle atteint des puits, des résurgences et les principaux cours d’eau drainant le bassin versant. Actuellement, tous les cours d’eau (les Roteures, la Sainte-Hélène et le Grand Bel) ont en commun d’être contaminés par le tritium, à des niveaux variables compris entre une dizaine et plusieurs centaines de becquerels par litre. Pour les deux premiers, les résurgences le long du premier kilomètre apportent des eaux bien plus contaminées qu’elles ne le sont dans le cours d’eau au même endroit. A quelques centaines de mètres en aval de la source de la Sainte-Hélène, on mesurait jusqu’à 700 Bq/L de tritium dans une résurgence en 2003. Et cette situation contraste peu avec celle observée par l’ACRO il y a une dizaine d’années, cette fois au pied d’une maison familiale. Dans le cas du Grand Bel, pollué à la source, là encore la concentration en tritium des eaux n’a pas évolué depuis 1994 ! Elle est invariablement de 750 ± 100 Bq/L à la source.

Les constats de ces dernières années posent question. Pourquoi la contamination par le tritium n’a pas décru drastiquement comme on aurait pu s’y attendre si on conjugue la dilution et la décroissance radioactive ? Ne considérant que le phénomène de décroissance radioactive, les niveaux auraient dû diminuer de 50% par rapport à 1994. Or il sont sensiblement les mêmes à certains endroits, ce qui suppose que la quantité de tritium mobilisé a augmenté.

Certes, les eaux des résurgences et de cours d’eau ne sont pas utilisées directement pour la consommation humaine, mais elles le sont pour le bétail et même le jardin. Dans le cas d’une vache alimentée de manière chronique avec de l’eau tritiée, des transferts existent vers le lait. Ils sont confirmés dans La Hague lorsqu’on se réfère aux contrôles effectués sur le lait par un autre opérateur du nucléaire que l’ANDRA, cette dernière n’effectuant aucun contrôle de cette nature et ce depuis le départ. Et le bilan des transferts ne s’arrête pas là. Le tritium, hydrogène radioactif, « s’échange » et entre dans la composition de la matière organique, donc de la vie. Chair, graisse, légume, etc. peuvent être concernés. Les voies d’atteintes à l’homme se multiplient alors. Faut-il encore vouloir les connaître.

Apurer la pollution des écosystèmes aquatiques est une nécessité morale. Il n’est pas acceptable de voir le gestionnaire d’un centre de stockage de déchets nucléaires démissionner devant un élément radioactif comme le  tritium qu’il n’a pu contenir sur son site et l’abandonner au pied des maisons, au fond des champs. Il est obligatoire a minima d’étudier, comme le demande l’ACRO, la possibilité de recourir à la méthode éprouvée du pompage dans la nappe avec rejet en mer dans l’espoir d’obtenir une diminution progressive de la contamination des eaux de surfaces et de gérer de manière contrôlée et organisée les flux de radioactivité artificielle en direction de l’environnement.


Rapport d’analyse

Dosage du tritium dans les eaux souterraines pompées le 23 mai 2006 au niveau du piézomètre 113 à proximité du centre de stockage de la Manche

Echantillon Concentration en Bq/L
début
de pompage
13 200
± 900
fin de
pompage
16 800
± 1 100

Télécharger le rapport d’analyse

Dosage du tritium dans les eaux souterraines suite à un deuxième prélèvement effectué par Greenpeace Hollande le 8 novembre 2006 au niveau du même piézomètre.

Echantillon Concentration en Bq/L
Première
cuillère
18 700
± 1 100
Deuxième
cuillère
18 100
± 1 100
Après
pompage 1000 L
18 100
± 1 100
Après
pompage 2000 L
20 000
± 1 200
Après
pompage 3000 L
20 200
± 1 300
Après
pompage 4000 L
20 600
± 1 200

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